完全を受け入れる
2021/05/07

完全な人間がいるとする。 現実に存在するかどうかは重要でない。 完全な人間を、我々は受け入れることができるだろうか?

社会では、不完全を受け入れることを良しとする人が多いように観察される。 例えば「所謂天才と呼ばれる人たちも、どこか苦手な分野はあるのだ。それが人間らしくて良いではないか」「完全な方法などない。どこかに改善点は存在する。それを探すのが大切だ」といった具合に。

実際、不完全を受け入れて完全を目指すのは重要だ。 また、たとえ一瞬完全であっても、時間空間をはじめとした様々な変化によって、次の瞬間には不完全になっていることは大いにあるだろう。

しかし、物事全てが不完全だという思考に囚われて、その一瞬の完全を、一瞬だけでも受け入れることすらできなくなっていないだろうか? もし、何にも影響されない完全が現れたら、受け入れられるだろうか?

たとえ天才と呼ばれる人たちが、苦手な分野を努力でリカバしていたとしても、それを彼らが曝け出さない限り、表から見える部分だけを見るのが、礼儀だと思うのだ。

わたしは、自分の前に完全が現れたとき、それを受け入れられる素直さを持ちたい。